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レビュー:アークザラッド(PS1)

注意

当記事はレビューするにあたり、ある程度のネタバレ要素を含んでいます。

なにとぞ、ご理解の上、楽しんで読んでいただければ幸いです。

 

 

良ポイント

  • 壮大なテーマを掲げたストーリー。
  • PS1当時のローンチタイトルで声優によるキャラクターボイス
  • 今作のデータをレベル、アイテムなどの多くを次作2に持ち越せる
  • 通常のRPGにあるフィールドや一部を除いたダンジョン、アイテム売買の概念をなくして、シンプルでテンポのいい仕上がりになっており、非常に敷居の低いRPGとなっている。
  • 遺跡ダンジョンでアイテム探索などやり込み要素が豊富。

 

残念なポイント

  • 良ポイントである反面要素として、テンポがいい、シンプルなゲーム性とはいえ、全体のボリュームが少なすぎるということ。最短で7,8時間程度でクリアできるほど短い。
  • ストーリーの結末が非常に中途半端で、2作目ありきの展開がユーザーに不満を残した。

 

◆目次

 

◆発売当時のアークザラッド

前述の通り、1995年に発売されたPS最初期のローンチタイトルであり、

通称SCE三大RPGと呼ばれる作品の1つに数えられています。

当時のプロデューサーの赤川氏によると、スーパーファミコン後期時代よりRPG全盛期でもあったゲーム業界において、PSローンチタイトルにRPGがないのはマズイという理由で、本作が開発されました。本来であれば、本作と続編の『2』は1つの作品として出される予定でした。

しかし、PS1発売から半年以内に出さなければいけないというミッションの元で開発されたものの、結局遅れに遅れたことで、完成している部分だけで出すことになり、結果として2作に分けられることになりました。

本作の当時のキャッチコピーは『光と音のRPG』。

当時の最新機であるプレイステーションの能力を、充分に発揮する秀逸な演出が施されていました。

 

◆本作をプレイするにあたって

残念ながら制作者自身が認めているように、本作は元々、本作のみで完結するものではなかったことから、単体での評価は難しく、大抵のプレイヤーが一様にそのことについて不満を述べています。ただ、本作がPS1初期の作品として、PS1がどんなハードとして発展していこうとしていたのかが、本作のゲーム性の中から見えてくることもあって、そういうゲーム史的な意味合いで見ればとても興味深い作品です。

◆システム面

非常にオーソドックスなシミュレーションRPGであり、ターン制ではなく、敵味方入り乱れて素早さで決まる行動順に従って各キャラクターを操作します。

敢えてその点に着目するのであれば、本作がPS1のデモンストレーションとしての役割を担っていたのであれば、キャッチコピーにある『光と音のRPG』にあるように、映像的にもサウンド的にも、これまでとは次元の違った高度な演出が可能になったことを存分に表現することが本作のミッションだったように思えます。ゆえに、そこまでゲーム性としてこだわった部分はなかったのかもしれません。

あるいは、新規のライト層の取り込みがメインで、コアなゲーマーをターゲットにはしていなかったのかもしれません。

当時、ゲーム業界を席巻していたのはまさしく任天堂であり、セガはその後塵を拝していました。

そしてセガもまた次世代機を投入している中、そこにソニーが割って入るわけです。

疑心暗鬼なこれまでのゲーマーが新参のソニーをどう見るかは想像に難くなく、実際に当時のゲーム雑誌においてセガサターンはコアなゲーマー向きハードであり、プレステーションはライトゲーマー向き」などという解説をしている記事すらありました。

ただ、そうはいってもサターンかプレイステーションかの二択で解説する記事が出ていただけでも、その時点ですでにソニーはかなり健闘していたと言えるでしょう。

そして、ソニーはその見方を冷静に観察していたのでしょう。

ソニーが勝機を見出すのであれば、やはり任天堂ファン、セガファンからユーザーを獲得するのも大事ですが、より重視したのは新規のライトゲーマーでした。

当時、次世代機、そして今とは違った意味合いでの『ヴァーチャル』という言葉は、そこかしこに溢れていました。すべてが次世代ハードを指す言葉だったといっても過言ではなかったでしょう。その次世代のムーブメントに反応する新規のライトゲーマーをなんとかソニー側に引き込むのに、大作RPGは絶対に必要でした。当時のゲーム業界において、大作ジャンルといえばRPGでしたが、かといって、あまり複雑で難易度も高く、敷居の高いものであっては、人が集まるはずもなく、そういったマーケティングの元に作られたのが、本作だったのではないかと管理人は考えています。

ストーリーを壮大にして大作RPGとしての体裁を整え、かつ映像や音楽の質の高さを表現することで、PS1というハードの底知れぬ性能を見せつけるものの、ゲームとしてはそこまで難しくなく、誰でもとっつきやすいものにすることで、より多くの人にプレイステーションに触れてもらう。そのためなのか、本作ではフィールドマップという概念すらなく、ただ行先を決めて飛空艇に乗るだけだったり、町でアイテムを買うというRPGの基本要素をなくし、できるだけシンプルにゲームを楽しめれる作りになっています。とにかく多くの人にプレイステーションを見てもらう、感じてもらう、それがアークザラッドというプロジェクトのミッションだったんじゃないでしょうか。

だからこそ、PS1発売後、半年以内の発売が最重要事項だったのでしょう。

わざわざ作品を二つにぶった切ってまで実行したわけです。

 

◆大作RPGといえばエコロジーというストーリー

この世界には、かつて邪悪なものに立ち向かい、それを聖櫃と精霊の力によって封印した「七勇者」の物語が語り継がれていた。その世界に存在する国家・スメリアの辺境に住む正義感の強い少年アークは、行方不明の父を追い求めるうちに、勇者としての使命をおびることとなる。

そして、偶然出会った聖母の使命を与えられた名門ワイト家の娘・ククルや仲間達と共に旅を続けるうち、アークは自らに課せられた使命と、かつての七勇者の伝説からくる運命の波に翻弄されることとなる。

wikipediaより

 

ゲーム業界についてコメントしているある人の言葉を借りれば、『90年代は日本人のポストモダン化が完了した時代だった』とのことです。

ざっくりした言い方をすれば、それまで日本人の大多数が共有していた共通の価値観が消失した時代だったということです。

生まれたらいい学校に行き、いい大学にいき、会社に定年まで勤めて、ゆくゆくは結婚し、郊外に小さいな家を建てて老後は静かに暮らす。

これが日本人の当たり前の幸せの定義でした。中流家庭という概念がまだ存在していた時期です。そういった当たり前の幸せの定義が消失し、人々が多様化というものを受け入れざるをえなくなった時代、それが90年代だそうです。

人によっては、多様化を受け入れたと言っていますが、正しくは受け入れざるをえなかったというのが、より正確なんじゃないかと思います。そしてさらに正確にいえば、受け入れたというのも間違いでしょう(苦笑)

さて、90年代の半ば頃、アークザラッドが出てまもない頃というのは、戦後の経済成長、バブル期を経て、長い長いながーーーーい、そして今に続く不景気の真っただ中です(苦笑)

当時、これまでの価値観が消失し、そして当たり前だった幸せが崩壊し、人々が浮かれ気分から目を覚ました時、内罰的な視野に立った人々がすがったのはエコロジーでした。

人間がこれまでやらかしたことのすべてを自然は怒っていて、やがて復讐するときを見計らっている。

こうした妄想か、あるいは想像する人々は、経済的に行き詰まった社会の中で、自分たちが何を間違えてきたのか考えるときに、とても分かりやすくて、手に取りやすく、そして誰でも振りかざせる論理として、やや軽薄に持ち出されたのがエコロジーです。

もちろん、本来のエコロジーはそうしたものではありません。

ですが、ここで持ち出されるエコロジーは、たいてい安っぽいものの、それなりに大風呂敷となる材料で、大作となって売り上げが見込めるジャンルでありながら、物語性や作家性を求めるジャンルでもあるRPGは、当時、やたら乱立した新作RPGがかかえるテーマとしては、よく乱用されたものでもあります。

あの当時、大作RPGだったFF7ですら、エコロジーは使い勝手のいい『ゲームエンジン』だったんです。

当時のユーザーは、それなりにエコロジーが語るテーマを分かりやすく受け取り、そしてそのままゴミ箱に捨てたでしょう。

大人になった管理人が、改めてこのアークザラッドというゲームのストーリーを考えたときに、恐らく当時の自分なら何も気にせず遊んだんでしょうけど、少しスレた大人になってしまった今、どうにもこのエコロジーが鼻につくわけです(苦笑)

精霊は、主人公に力を貸す際に、これまでの人間の行いを責めますが、この精霊にしたところで、人間の行いを黙って見ているだけだったことに代わりはないわけです。

(人間によって強制的に協力させられていたとはいえ・・・)

間違いなく人間は愚かですが、その愚かさを見てみぬフリをしてきた精霊が、人間を責め、そして人間の子供に自分や人間の大人たちのやってきたことの責任を負わせるわけです。

大人になってしまった管理人が思うに、実はこの精霊というのは一般社会の投影なんじゃないかという気がしていました。

 

人間。あいつらは愚かだ。だが自分はおまえたちに力を貸してやろう。

おまえたち次世代の子供が、自分たちのやったことのツケをしっかり払ってくれ。

代わりに責任を取ってくれ。

 

つまり、この時代のゲームやサブカルチャーで多くの作品の中で語られたエコロジーというのは、こういうことが言いたいものが大半だったわけです。

次世代ががんばってくれ!(笑)

この件については先送り(次世代に)!

この考えが間違っていたのは火を見るより明らかです(笑)

 

初代アークザラッドが発売されて約30年。

エコロジーの代わりにSDGsが出てきて、相変わらず多様性を謳ってはいるものの、今でも当たり前に社会にはイジメは存在しているし、差別も存在している。

そしてファイナルファンタジー7は、今またリメイクとなって世に発表されようとしている(笑) 時代は巡るようです。ある意味において、今こそアークザラッドも復活する時期なのでは、という気がします(笑)

 

それにしても、当時、PS1のローンチだった本作が、結局、間に合わずにストーリーを半分にぶった切って、中途半端な作品としてエコロジーをテーマにした作品を作るというのは、皮肉ではあるんですが、案外、世相を表していたんじゃないかという気もします(苦笑)

 

ストーリーとして決してつまらないとか、間違っているということではありません。

ただ、本当にこの当時のRPGアークザラッドに限らず、世相というのがキーワードだった気がします。ほとんど一様にエコロジーがテーマの一つにしていたものが多くありました。

 

◆結局、ゲームとして面白いのか?

面白いです(笑)

個人的に現代的な視点に立ってみると、矛盾が目につく当時のエコロジーに目を瞑れば、ストーリーだってそう悪くはありません。というより、半分にぶった切ったストーリーで良いも悪いもないというのが本音ですが、多くのレビュワーの意見を見ると、次作『2』の評価はそう悪くありません。特にストーリーに関しては、あまり否定的な意見はありません。ただ、管理人の観点として、あくまで1を単体作品として評価するなら、ストーリーに関しては、初めから評価不能といわざるを得ません。

完成していませんから(苦笑)

それでも敢えてストーリーについて評価するなら、面白くなりそうだし、シミュレーションRPGとしてのゲーム性も及第点ですが、充分に楽しいです。そもそもライトユーザー向けの比較的とっつきやすいシステムやさくさく進んでいくゲーム性は、それ自体が評価できる部分でもあると思います。

やり込み要素としてあった遺跡ダンジョン攻略も、レアアイテムを追求するものとして充分楽しいです。

結局、この1作目の最大の難点として、内容が短すぎるということを許容し、もはや2の内容のプロローグだと思って割り切って遊ぶことができれば、まあまあ、良作なのではないかとも思います。

 

◆レビューランク

ランク
D
ストーリー

:★☆☆☆☆

オリジナリティー :★☆☆☆☆
グラフィック :★★★☆☆
音楽 :★★★☆☆
やり込み度 :★★★☆☆

 

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